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2011年11月13日 (日)

縄文時代後期の山城とももちゃんの古代史

 昨日も今日も暖かく快晴で気持ちよい小春日和。昨日は銅鏡・銅印(奈良私印)・鉄斧等が出土した三間沢川左岸遺跡発掘現地見学会に参加。午後は「松本に多い山城発表会」学芸員さんの発表だった。山城は中世に武田信玄が松本に侵略して来て小笠原氏が戦った時の城的な認識が地域にあったので、疑問を持ってももちゃんは参加した。そしてももちゃんは質問した後、若い学芸員さんが山城について調べ足を運んで写真を並べた努力を、ちょっと褒めてから質問すべきだったと反省した。

 案の定「山城」の時代設定が武田信玄との激戦時等の城と説明していたので、時代について質問した。武田信玄は馬を疾駆して信州の多くを領地にした武将。その時代に松本地域では山中に山城を築いて山に篭って敵と戦ったのだろうか。山城にはV字の薬研掘りの堀が多く掘られていると言うが、堀なんか掘っている間に馬で蹴散らされてしまう。山城には下級武士でも篭ったと言うのか。可笑しいではないかと質問した。

 山城の多い松本の争いなら、武田信玄の以前に弘法山古墳を築造した人達だって、もっと以前の金環と馬具をシンボルにした文化と、穂高見尊(麻織物と稲)文化の激戦地だった時代がある。ただこの説は私だけの説で認知されていない。

 山城の多くは縄文後期から弥生時代の周講を何重にも巡らした弥生遺跡と同時代か前後する時代と私は考えている。だって古墳に多くの馬具が副葬された時代は、馬が戦闘で有利だったことは確かだ。そんな時代はもう山に篭って戦争しないだろう。山に篭った人達は負けたから山に篭ったんで有って、戦闘に馬が一般的になった時代は、わざわざ多くの労力を使って山城は作らないだろうと考える。馬が調達できない下級武士同士や地方豪族同士の戦闘には山城も有効だろうとは思うけれど。

 これは理屈で推定で体験ではない。だけど日本の多くの山城は奈良時代以前の文化だっただろうと思います。

 製鉄文化のルーツを書いた「御柱祭り・火と鉄と神と」読んでください。古墳から多く出土している「金環」のルーツも書いています。

 須恵器のルーツ・漢字文化等のルーツを書いた「封印された須恵器のルーツ」も読んで下さい。古代史を生活科学の目で見て書いています。

 そして人類の文化史の真実をもっと考えてみたいですね。

 まぐまぐ「日本古代史の謎とルーツを探るももちゃんノート」も読んで下さい。日本のもっと素晴らしい文化が見えてきますよ。  よろしくどうぞ。

 

 

 

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コメント

( ̄▽ ̄)面白い史観をお持ちで、楽しませていただきます

日本の軍馬については以下を参照して下さい。
http://yomodado.blog46.fc2.com/?mode=m&no=262

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