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2011年11月 7日 (月)

続・続マヤ文明と縄文文化とももちゃんの古代史

 続々・マヤ文明と縄文文化ももちゃんの古代史は、今マヤ文明と日本縄文文化との関連を解明しています。

 第1にマヤ文化と縄文文化は時代が今から5000年以前の紀元前3000年頃で、両文化とも時代的に大差ないこと。

 第2に人を神への貢物としている点。生贄を神にささげている。メキシコの壁画に生贄が生々しく書かれ彫刻されている。一方で縄文製鉄時代には製鉄には幼児の生贄を奉げていた。製鉄にカルシュウムが必要なことは製鉄者たちの製鉄途上で子供が製鉄途上の火に落ちて、その時の製鉄が柔らかい鉄ができたという、良い鉄を得るには欠かせない体験をした。その後新技術(他の動物や貝殻でカルシュウムを得られると言う技術)を発明するまでは、幼児の犠牲を必要としていた。その生贄を必要とした技術の時代にメキシコ・マヤに縄文文化が伝わったと推定できる。マヤの生贄文化は信州製鉄文化の初期時代の生贄を必要とした時代に伝播して行ったと推定できる。

 第3にメキシコ・マヤ文化は彩文土器の文化だが、日本の東日本の・・土器(今土器の形式が出てこない、少し前までは直ぐ思い出したのに、年を取ると言うことはこういうことかと少し戸惑う)の工字文等の土器等とメキシコの彩文土器の技術は同じだと言うこと。日本では縄文土器の後の時代に鉄粉で赤い彩文土器を作った。その後に黒色土器の時代になって、東北に伝わって赤・黒の美しい彩文土器を生んだ。東北の彩文土器技術・文化がメキシコや中国に伝わってメキシコや中国の彩文土器文化が発展した。と私は考えている。

 この他にもメキシコ文化に水晶のドクロが有ったりするが水晶は縄文時代に信州と共に栄えた山梨県が名産地、山梨県の文化遺跡・遺物の研究がまだ私の中でできていないので断定はできないが、メキシコにどの程度の水晶の技術が有ったのかも未調査だが、山梨では水晶玉の加工品が縄文時代から出土していたと記憶する。等など文化を比較すれば日本の文化がメキシコ・マヤ文化等に伝わった可能性が高い。

 又大海の潮流から推定しても東北・東日本から船出して難破すれば、舵が取れなくても潮流に任せれば、北アメリカやメキシコや南アメリカのペルー等に到着する。以上書いたが私の中でメキシコやペルーが混乱して私の記憶に入っていて混乱して書いている可能性が強いが、お許しの程。

 まだ書き足りない気がするけど、この辺でマヤの暦と縄文文化については終わりとしたい。

 是非メルマガの「日本古代史の謎とルーツを探るももちゃんノート」も読んでね。今<米・稲作のルーツは伊那谷>を書いています。マヤ文化と縄文文化のこのブログ的感覚でジャポニカ(日本の米)のルーツを突き止めています。

http://www.mag2.com/m/0001338391.html

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