文化・芸術

2016年5月20日 (金)

橿原市で円形周溝墓出土・卑弥呼の墓のルーツ?

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橿原市・円形周溝墓発掘・卑弥呼の墓のルーツ?
 
日本古墳のルーツは積石塚円古墳か東松山市小円墳 
 
 
今までの私の「現行の土器編年基準から時代設定への疑問」から見ると当然日本の古墳の時代もだいぶずれてくる。その上私の古墳に対するルーツの見方も技術伝来ではない、とするので箸墓古墳が日本古墳のルーツ的存在とする説そのものもありえないと考えられる。小円墳が古墳のルーツで築墓の技術等が次第に研究発展シンボル的思いが加味されてか前方後円墳と言う形に発想定着したと推定される。だから古墳形は文化と勢力によって異なり、当然・積石塚円墳・円墳・方墳・前方後方墳・前方後円墳・帆立貝式古墳等各古墳形の象徴とする文化があって、其々の勢力が古墳形を継承して続けていることも考えられる。
 
処で今回発掘された橿原市の柄鏡式周溝墓は前方後円墳のルーツ的存在だと解説されているが、この柄鏡式の形は縄文時代後期頃に中部高地長野県佐久市とか東部と関東・東北で多く出土している竪穴住居跡と類似しこの形の住居の土間は敷石住居と命名され石が敷き詰められている場合が多い(写真)そうした形の発展形が帆立貝式古墳ではないだろうかと考えられる。
 
古墳は死者を埋葬して祀る宗教的信条の始まりで、当初は土や石を積み上げる技術も始まったばかり。思想的には山岳仏教の始まりでもある。古墳の時代も中部高地の長野市周辺の積石型円墳の出現は縄文後期前半だったと推定できるし、480mもの巨大古墳の前方後円墳なども埴輪時代の弥生前期頃始まっている事で時代の辻褄が合う。積石塚古墳からは未確認だが赤い土器(弥生時代土器)の出土があったと思います。小円墳からは金環が出土しているがこの耳飾り金環イヤリングは、何故シンボルがイヤリングかと言うと、縄文時代中期後半に土製の美しい耳環が流行して、その対抗として金の耳飾りを造ったのだと推定できます。だから金環の出土小円墳の始まりは縄文時代中期後半頃から縄文時代後期に繁栄があった文化だと考えられる訳です
 
・橿原市でも縄文後期等早い時代にこの円形周溝墓が作られる文化勢力が定着したことが予想されます。今回の発掘報告では未だ出土品が報道されていないので詳しい推定が出来ない現状ですが、近い内に真相解明が出来そうで楽しみですね。
 
日本では480m近い世界一巨大古墳と400m以上が後1基300m以上巨大古墳が12-3基存在し、世界に誇れる古墳文化・本等はそれを造る文化と経済力が古い紀元0年前後の実時代に存在していた素晴らしい文化を持っていたことを、もっと誇りに思い世界に発信して行ってもいいと思います

2016年5月13日 (金)

ガラスのルーツも日本(ガラス用窯

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 ・知事升添さん支出不信のお金等への疑問に「精査して答えます・・」との返答、過去では度々言っていた升添知事の「金と政治に批判的」だった発言を行動で裏切った。口先だけのある宗教と同じで、精査して辻褄合わせをしたいという訳でしょうか。ガッカリデスネ。税金の無駄使い返せと言うべきですね。世界一貧しいとして来日した有名になった大統領の口先だけで無い金に清い行動、素晴らしいですね。
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ところで黒曜石が太古から矢尻に使われていた事はご存知だろう。その黒曜石は
80%以上はガラスと類似成分という事もご存知でしょう。その黒曜石はそのままガラスの材料でもある訳ですが、熔解温度は土器を焼成する焚き火と同程度の800℃程度のようです。ガラスも黒曜石を矢じりにする加工の時、粉状になるだろうし、その粉を土器に溜めてあった物を忘れて土器ごと焚き火の中で焼けばガラスが溶けて液状になって、自然に冷えたら土器の中にガラスが出来ていたという自然があったと考えられます。縄文土器が世界一多出する諏訪地域の茅野市や原村の少し山の中から縄文時代は産地として黒曜石は日本中(?)から出土しているのです。もう縄文時代からガラスが作られていて不思議の無い状況です。それに縄文時代の双口土器の使い道は今のところ分かっていないのですが、現在使われているガラス窯の猫ツボと類似し、使用にもガラス液取り出しに双口土器は猫ツボ的で、推定ではガラスの炉的に使われていたのではないかと言えます。

 
・ガラスは多くが小玉としてネックレス的装飾品として使われているので、最初はガラスは急冷が必要だという性質から又材料を多量に使う製品が考えられなかっただろうし、ガラス小玉を量産するには数人で少量熔けたガラス液を玉にするために材料を取り出す口を2つ造って、数人でガラス玉を造っていたのだと推定できますが、後には写真にあるような小穴を並べた合理的な鋳型が考案され一度に多量のガラス小玉が作られたと推定できます。現代のガラス窯は写真のように双口土器と類似する猫ツボ(連帯ツボ窯)への改良だと言えそうです。
・壺に飾り付きツボが飾ってある幾つも肩にツボが並んだ須恵器もガラス窯として使ったのではないかと考えます。
 
・東大寺の御物の中に世界最古のガラス製造法が書いた書物が出土しているらしいのですが、さもありなん、ガラスも日本縄文時代から造っていた可能性が大きいですね。

・こういった偶然が作りだした初期製鉄や初期ガラスや初期製銅・小銅鐸など、火の利用・縄文土器の利用と更に各種の鉱物を含んだ土器・胎土が人間の文化の初めだったとは、凄い偶然・これこそ神の配在の偶然のように思いますよね。

2016年5月 7日 (土)

端午の節句は中国から伝来は嘘?

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青空に泳ぐ鯉のぼりは雄大でいいものですね。柏餅は良く子供の頃作ったので思い出いっぱいです。ところでネットで中国の端午の節句を調べたら日本のそれらしい行事は中国にはなく龍のような船で大会を開いているようです。これが日本の端午の節句のルーツとは言えないのでは?中国の行事はただ同じ頃の祭りだと言うだけの事。日本ではれっきとした男子の誕生の祝いだと言う事。その祝いには魔除けの為の菖蒲やモチグサを個人の家の門前に飾られること。これは旧暦の頃に菖蒲やモチグサが成長し、また粽の葉が(粽≒チマキは笹の葉?)多くが関東以北では柏餅の若葉が大きく成長した時期の旧暦6月5日頃の祝いで、柏の葉は若芽が芽吹くと古い葉が入れ替わるので代が変わる意味があるので後継ぎ誕生の祝いであり、中国の行事とは全く異なる。だから端午の節句が中国から伝来した説は嘘でしょう。日本の全ての文化が中国とか韓国伝来説で成り立っている日本文化古代史は嘘ばかりと言いたいのですが!??。 

2016年4月29日 (金)

美しい星空の阿智村と阿久遺跡(日本最古の環状石遺跡)

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日本一美しい星空の阿智村と阿久遺跡
(日本最古の環状石遺跡)         
  今、星空が日本一美しい阿智村が観光スポットになっていると知って、日本一古い環状列石遺跡がある阿智村の阿久遺跡もついでに見学して欲しいと思います。阿久遺跡は私の推考では縄文時代前期の製鉄のルーツ的初期址と考えます。どうやって製鉄したか?この環状列石の石を並べた上でカッ鉄鉱(スズ)がぶら下がった萱やススキを並べて焚き火をして、焚き火の火で熔けたカッ鉄鉱が石の下にポトポト落ちて、その後石を除けて冷えて固まった鉄を取り出して、叩いたり温め直して柔らかくしたり工夫をして、そういった研究段階(製鉄初期)の遺跡だと考えています。そんな遺跡が阿智村や隣の原村や茅野市等八ヶ岳山麓では、今世界一野蛮な方法で巨木を山奥から伐採し麓の諏訪大社に立ち上げる御柱祭でも賑っていますが、世界Ⅰの縄文中期遺跡が発掘されている地域でもあるのです。  阿智村に限らず天空の輝く星星を眺めると、人間のちっぽけさや宇宙の大きさや星空に引き込まれる恐怖みたいな美しさの地域は、縄文時代中期(今から約6000年)も前頃は世界一大きな都市があった(出土遺物・土器・遺跡が世界一多い)なんて、これもまたロマンですよね。この美しい星空の近くの茅野市で国宝の縄文のビーナス像や縄文の女神像が出土しています。これ等の土偶は5000年前ほど縄文中期。縄文人は巻頭衣で殆ど裸なんて言われて絵にもなってるけど、縄文のビーナス像を見ると立派な帽子を被り、立派なズボンもはいている。今と余り遜色のない凄い(製鉄文化?)文化があった可能性が考えられますね。彼方も今宵美しく輝く星空のもとで6000年以前の文化に思いを馳せてみては如何でしょうか。
 そして今ふもとの諏訪大社上社と下社の4か所で古式に則った御柱祭立ち上げの祭りが、5月の連休中に行われます。何故と考えれば方法から車輪のない時代、滑車のない時代、でも鉄斧で大木伐採という事実がある。古い古いお祭りだと解ります。
 その上この地域の地質は八ヶ岳火山地域だったので鉄分含有量がとても高いようです。だから製鉄は土器を焼いたり焚火をしていれば純度の低い鉄が溶け出した可能性がとても強いという訳です。だから縄文時代中期の世界一の繁栄は製鉄が行われていた可能性が強いと考えられますね。

2016年4月23日 (土)

御柱祭・5月連休の立ち上げ神事の怪

御柱祭・5月連休の立ち上げ神事の怪423
前回は諏訪大社下社で立ち上げ神事の時、柱にまたがった男衆が落ちて2
名の死者を出した。しかし祭は続けられた。あの時の翌日見に行ったが他の御柱はとどこおりなく御柱立ち上げ神事は続行した。何故か。祭りは諏訪大社の神事であり、神を祭る神事だから。では諏訪大社は何の神か。歴史伝承では風の神で薙ぎ鎌や鉄鐸・鈴等を神宝としている・・私は出土品や神宝や生活科学的に見て諏訪の神=「風の神」は「製鉄のフイゴ」製鉄の神と考えている。第一、奥山から巨木を伐採して村まで引き出してきて諏訪大社に立てて祀る、その行事には製鉄から得た「鉄斧」が無ければ不可能の祭りで、何故巨木を伐採して大変な山(丘)を超え川を越えて諏訪大社まで運ぶ必要があるかと考えると、巨木を切り出す鉄斧を製造できる技術があること。その鉄斧を造る技術と奥山から運び出し、神社の四隅に巨木を立ち上げる技術がある(例えば五重塔など立てる統領の技術もある)神様(集団)だと言う事の世界へのアピール・発信であって他にどんな理由が御柱祭にあるのか。
 
 その素晴らし一連の技術を現代の目で見ると山川を引いてくるのに人力でなくとも滑車や重機を使えば簡単に運び出せる物を、わざわざ氏子総出の人手で、旧態のそのままの形を引き継いで行く、死者が出ても、この世界に誇れる技術を造り上げてきた仲間の死を乗り越えて、御柱を神社の四隅に立ち上げるまではこの「製鉄=鉄斧」を作り上げてきた技術を他に譲ることが出来ない心意気。守り伝えて行こうという人々の熱気は、日本人なら感じるだろうと私は、この文を書きながら興奮して涙が出そうになってしまうのですが。
 
 なんで死人が出た前回祭りを中止しなかったのかという疑問を読んでいて、書きたくなりました。
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月の連休の立ち上げ神事を見に行ってこられるのもいいと思います。ついでに良かったら私の本「御柱祭火と鉄と神と」読んでみて下さい。茅野・諏訪・岡谷の地域は製鉄技術の発祥地・ルーツの文化だと書いてあります。製鉄技術の世界的発祥地だと考えられます。
 

2016年4月18日 (月)

聖書に記録された大災難・熊本大地震

聖書に記録された大災難・熊本大地震 418

 

熊本大地震で被害が増大し引き続いた地震に恐怖や心労が続いていて、お見舞い申し上げます。もうボラで現地まで行く程の気力も失せたこの頃です。唯皆さんの活力が続きます事を祈ります。
 
 聖書だけが終りの日が近い事を告げていますが、その終りの時を思わせるように九州熊本の大地震が続き、南米のエクアドル?でも大地震が起こったことをTVは告げています。でもこの地震・災難はエホバ神の怒りではない、地上から一掃されるサタンの抵抗、エホバは愛と秩序と義の神だからエホバ神は決して、人類の艱難を良しとしていない。神の愛はむしろ人類の苦難を取り除きキリストのように身代わりになってくれようとする愛がある。サタンは苦しみを神や他の人に身代りさせようとする。この違いをよく人類は噛みしめないと、神を恨む結果を招く。
 
 よく人は、私もかつてはそうだったが、何か災難等が起ると神のせいにする。母が「神も仏もあるもんか!!」と怒りや恨みをよく表していた。でも私は問題は母自身の過去の執らわれが苦難となって母自身に怒りや恨みとして現れていたと気付いていた。しかし感情の囚われの本質は遺伝するらしく、私も思わぬ怪我や病気など度々我が身に起ることを嘆きたくなる。
 
 今回の地震や津波などは地質の問題で神のせいではない。エホバの証人でこの点なんといって居るかまだ勉強中で理解していない私だが、この考えは私の長い人生から得た教訓だ。だから今回の地震や震災を神のせいにしないで欲しいと思っています。
 
 古代史としては曲げられた日本史が「日本史の本質を表面に出してくれ」と叫んでいるのかもしれないなんて、擬人化したくなりますが、須恵器文化は関東では赤い土器の時代以後・瓦塔の時代(俗に弥生時代中期)の後半頃(紀元前300年前後)には関東一円に浸透し、瓦塔から三重塔等山岳信仰を基盤にした仏教的文化が造成せれつつあった時代。
 
 一方で関西では巨大古墳を築造し、膨大な数の埴輪を古墳に飾り立て、人々に敵対者に経済力や文化力を誇示した時代だったと推定しています。その証拠としての出土品等を生活科学的な目で、探し出す作業をして「ももちゃんの古代史」でブログに書いて行きたいと思います。

2016年4月11日 (月)

諏訪大社御柱祭は製鉄の神の祭り

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知能指数147とかという「彩色兼備」の東大卒の脳科学者という女性のインタビューが行われていた。私も知能指数140位だったのに、こんなに生活の上で差を生むのかと。私ももう少し後の時代、今のように女性も周りをはばからず活動できる時代に生まれていればもっと学んで我が道を行けたのに、当時は未だ女は大学卒は5分の一程度だったか?。私は学校の授業が面白くなくて余り学歴に拘らなくて。今の社会がこんなに学歴が物を言う社会になろうとは考えなかった。大失態の現状。どんなに古代史を生活科学的に解いてみたとて、何とかの遠吠位で、学歴の無い私の本など読んでくれる人もいないと今少々自虐的です。でも自分の選んだ道。せっかく神に頂いて生まれた才能も磨く術を知らずその努力もせずに無意味な人生を過ごしてしまった。今は後悔ばかり。

とはいえ私は何故か肩の骨折も腕を使うのを自重せよと言われる順調過ぎる回復。デイサービスに通いヘルパーさんに来てもらうのも税金の無駄使いをしているのではないだろうかと、ちょっと心苦しい程の回復の早さ。骨折からちょうど3カ月。歴史の真実も伝えられないで人生終わるのかと思うと後悔ばかり。でもでも「製鉄は日本の縄文時代に行われていた」の主張を出版して伝える基礎は達成できた。やっぱり真実を私は好きだ。公平も好きだ。でも私は愛を間違って使わされていたことが後悔の一つ。マインドコントロールを受けて愛をエホバの愛を誤解していた。仏教者等宗教者等に誤解させられていたと言いたいが、それも自分の責任。私は人間を好きでなかった。宗教者たちを・念力者達を大嫌いだ。今も。母や兄弟との関わりで宗教不信・人間不信が人間嫌いが払拭できない。死ぬまでにはこの感情を脱却して少しでも人間を怖がらず好きになって死にたいと思うこの頃です。
そんな私は今、世界一の巨大古墳を築いた人々は弥生時代という須恵器技術を発明する以前の日本人の祖先たちが伝来技術ではなく自分達の培った技術で世界Ⅰの500m物古墳を造り、300m以上でも7‐8基も建造して来た偉業を堂々と世界に発信します。奈良・飛鳥時代の八〇〇程以前には、須恵器技術発明以前(推定少なくも邪馬台国の終焉)の紀元後3世紀頃には終焉してしまったと考えます。要は須恵器技術発明=カマド=窯の発明・関西に窯の普及により巨大古墳時代は終焉の時を迎えたと言えます。
 
 諏訪大社下社「風の神=薙鎌の神=天狗様の御柱切り出し祭りは終わって、後は御柱を神社四隅に立ち上げる祭りが4月末から5月の連休に行われて、私の「諏訪湖周辺の茅野・諏訪・岡谷・地域の縄文時代製鉄論」は今年も論議の端にも登らないままで終わってしまいそう。
 
 御柱祭では今の時代に滑車も車も無い時代の古代の姿を残したままの「御柱祭」の旧態を残して続けても、先祖の残した技術者「製鉄者の誇りを・プライド」を現代人は誰も理解していない。寂しいものですね。

2016年4月 3日 (日)

御柱祭・諏訪と縄文時代製鉄(ももちゃんの古代史)4・3

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御柱祭・諏訪と縄文時代製鉄
(ももちゃんの古代史)4・3
7年一度の御柱祭が雪解けの宮川を渡って、一先ず休息。諏訪地域は縄文中期の遺跡が世界一多く出土するが、御柱祭の昨日・今日は奥山から巨木を人力のみで切り出し諏訪大社上社に祀る祭り。何度か見に行った懐かしい思い出があるが、巨木をどうやって切りだすか。当然鉄器(鉄斧)の存在があるはず。青森の三内丸山遺跡の巨木の建物も縄文中期後半の遺跡。三内丸山遺跡では鉄器はなかったとの事だが?。石器では硬いクリ材は伐採は不可能と考えられる。 ・一方で縄文土器を焼く焚き火の温度(800℃前後)や自然界の中にあるカッ鉄鉱(高師小僧等)等の不純物の混入が多い鉄鉱石の熔解温度は、500℃程度だから製鉄は行われていたと考えた。そして製鉄は自然界の偶然から製鉄文化を築いたのは推定では8000年以上も以前頃。八ヶ岳から諏訪一帯は古代の製鉄材料のカッ鉄鉱は豊富だったことが考えられ、巨木を伐採できる文化を築いた誇りを御柱祭として現代にまで継続して来た人々の心意気が世界一勇壮で純朴な祭りから伝わってくる。御柱祭が今なお人力のみで行われることが、縄文時代の製鉄技術の傍証だと考えます。 ・日本の縄文時代は製鉄時代だった事は確かだと思いますよ。「御柱祭火と鉄と神と・彩流社・百瀬著」嘘だと思ったら読んでみて下さい。!!。

2016年3月22日 (火)

肩の骨折のサポートバンドが2か月で取れたよ・

Image7_2肩の骨折のサポートベルトが2月で取れたYjimage4 
・ももちゃんの古代史
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・肩の骨折やっと窮屈なサポートベルトが取れました。先生が治りが早いと言って驚いてました。今はリハビリ―中です。でも重たい物が未だ持てないけどヨーグルトRⅠのお陰かな???勿論エホバの神様のお陰かな??。
 
イースター島のモアイ像の謎TVで先日もやってました。
 
・イースター島モアイ像は日本縄文時代後期の赤い土器時代の人々の漂流して辿り着いたのがイースター島。首長は赤いハットを被っている。(日本の赤い土器時代以前の縄文中期後半頃の人々の一団といえる=縄文のビーナス像はモアイ像の主張と同様に帽子をかぶっている。彼女の方が模様があってオシャレ=位が高い?みたいだけど)
・刺青の人々と力士と推定出来るモアイ像の後ろ姿からも縄文時代の日本文化の一端が見えます。縄文時代諏訪大社上社に相撲の土俵がある。
・彼らは海の彼方を揃って見つめている。その先に日本がある。望郷の念で海の彼方の日本の島を見つめていたと推定できます。
・ロンゴロンゴという文字がイースター島から出土していて未だに解明されていない。でも日本式に縦読みで右から左に読めば解明出来るのではないかと思いますよ。縦読み右から左読みがロンゴロンゴ解明のカギ?早く解明されるといいですね

2016年3月 4日 (金)

高麗文化のルーツは信州松本文化・花粉症対策(ももちゃんの古代史3・4)




Yjimage2_31高麗神社玄関 Cimg0729上田安楽寺玄関屋根
高麗文化のルーツは信州松本文化・花粉症対策
(ももちゃんの古代史3・4)
花粉症に効果抜群のミカン皮と飲むヨーグルトジュース。これからの花粉時期に辛い人のために、とっておき情報です。このジュースについてはTVで報道され直ぐ実行しました。実体験です。松本では花粉症は無かった?私なのにこっちに越して来たら涙ポロポロ鼻水ツルツルのひどい状態だったのに、ミカン皮ジュース飲み始めて20日程、皆が花粉症だと言い始めた今、私、生活平気で、マスクも付けずに外歩きしてます。10日位で効果が出始めたと思います。継続が重要みたいだけど、嘘と思ってやってみるといいですね。R91?とかのヨーグルトも効果あると聞きましたが、ミカン皮ヨーグルトも試してみるのもいいと思います。
 さて、日本古代史を科学するという程ではないけど写真で高麗神社玄関と言われる建物玄関屋根が、信州上田安楽寺屋根と同類で、同類の屋根は松本西地域の山間部の寺にもあったと思います。
・建物屋根の形も、以前検討した布〔機・織物〕文化も土器も類似している高麗地域文化と言えば、高麗=信州の一部の秦氏?文化部族によって埼玉県高麗地域に伝えられた文化と言えそうで私は決まりだと思っています、もし疑問の人は聞かせて下さい。朝鮮の高麗地域からどの文化が埼玉県にどう伝えられたのか系統立てて教えて下さい。どんな証拠を見せていただけるか楽しみです。

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