旅行・地域

2016年5月 4日 (水)

真田丸・上田の超古代史 

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 今年は「NHK真田丸」大河ドラマに上田地域は湧いているようです。松本の友が近くなのにツアーで行ってきたそうです。上田地域はこの時代だけじゃない、とても面白い縄文時代から弥生時代と推定される遺跡や遺物や祭りなど残っているけど、ちょっとついでに見てくるのもいいかも。
 
勿論国宝の塩田平や青木村の三重の塔は見ていると思いますが、7月頃か調べてないですが雨乞い祭りと言われる「各家庭で反物を竹竿に吊るして奉納する「岳の雨乞い祭り」は私は見ていないのですが「何でこんな祭が」と思えますが、きれいな祭りのようです。今行われている諏訪の御柱祭も然りですが、何でこんな祭が行われるの??と頸が自ずと傾きます。でもその地域の特産物を見ると上田の場合「絹織物・綾錦織物」の産地だったことが分ります。その発祥は「反物の祭り」という事で反物で造った「お船祭の船の舳先に和服が祀られる」不思議な祭りの穂高神社の事(神宝は伊勢大社と同じ機織り機)を考えれば、反物を織って作った和服の祀り、和服=反物を織りあげて神社に奉納する人々・村の女衆の心意気を感じずにいられません。そうやって日本文化は脈々と営まれ発展して来たと思えます。
 
 上田塩田平地域の三重塔他、他にも塔が幾つか並びこれも見応えがあるけれど、初期の仏教文化がこの地域で育まれていたことも出土品(出土瓦が分厚くてその上縄文時代に流行した雲母が入った物が出土している)やら、とても面白い文化が詰まっています。私は山岳仏教のルーツ的地域(ルーツは少し山の中のようですが)の一つと考えています。その一つが北向き観音で、善光寺信仰と対をなしていて、善光寺観音は難波の海から拾い上げた一光三体仏と伝承されてるけど、これは天照大神とスサノオの尊と月読みの尊信仰で三体が一つの光背に仲良くおさまっている姿です。これは日本神話の中で大きな位置を占める三貴神(模様でいえば三角形=信仰されて縄文土器後半~弥生土器初期に使われた模様)の仏像という事だと言えます。是非寄って日本超古代史の奥深さをちょっと考えて見られるのも面白いと思います。

 


2015年4月 6日 (月)

善光寺ご開帳・仏像のルーツ

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善光寺ご開帳・仏像のルーツ(動画で善光寺仏像の紹介を書きました。見てね)
桜に柳の柔らかい芽吹き、自然の美しさ
 大自然は神が作られたのです。

 
 ところで春浅い信濃路の善光寺の7年一度の御開帳が4・5月一杯行われている。春遅いと言ってもそろそろ桜も咲き出すことだろうし、皆さんも「一度は参れ善光寺」と昔から言われるように、ご参拝されるといいと思います。誰も見たことのない善光寺さんの一光三尊仏、そのお前立ち仏として三仏立像と糸(赤い糸?)で結ばれた回向柱。
 
 仏教寺院は本来は女性は穢れた者として遠ざけられていたけれど、善光寺さんだけは古代から女性が大手を振ってお参り出来たお寺として全国的信者が昔は多かったようです。
 
 善光寺信仰は古くは民間信仰として、仏教より古くから日本に根付いた信仰だと、もう他界しておいでだと思う「五来?博士」が書いています。
 
 私も縄文古代史から出土遺物などを「生活の科学的な易しい視点」から見てきて、不思議に思っているのです。それは縄文時代世界一繁栄した中期頃の八ヶ岳裾野から諏訪湖一帯に世界一多く出土する遺跡群・土器群の中に、縄文のビーナス土偶が棚畑遺跡から出土し、宗教者と思える仮面を被った仮面の女神土偶が近くの茅野市から出土していること。更には男性のシンボル的「石棒」長野県内の村々に多く分布出土していること。この事実はあたかも日本神話の古事記に出てくる「三貴神」を地で行っているような出土品と思えるのです。この不思議は続いて、善光寺の本尊とされる一光背三仏立像は日本神話の三貴神「天照大神とスサノオの尊と月読みの神」を祀っているかのようだと、思うのです。多分その三貴神の三位一体の仏像の最も初期と思われる小さな銅製仏像が松本市内の遺跡から出土していて・・・・不思議な古代からの一致です。
 
 そして今調べている瓦塔(土師質の弥生土器と同じ焼成方法の瓦塔)が同じ松本地域で初期的なものが多く出土しています。さらに戦後間もない頃までは松本の荒れが先(蟻が崎地域)に洞窟のような場所があって、その洞窟に天照大神は隠れ、その岩屋戸を多力男尊が天照を引き出し岩戸を投げて今の戸隠(神社)に岩戸が飛んで行ったと言われていたという伝承を、微かに古老達が伝えていたという話。更には戸隠は日本有数の山岳信仰の聖地。
 
 ヤッパ日本の民間信仰は松本・塩尻辺りから形になって仏教的要素をいろいろ取り入れて民間信仰・山岳信仰に形を変えて行ったのかも知れない等と思います。更に天照大神の現魂は機織姫だったと伝え、伊勢神宮の神器の一つに機織り機が祭られている事実、ご存知ですか。善光寺最高位
のご聖人さまは皇室籍のある女性でないとなれないそうです。皇室とは強い関りのある善光寺さんでもあるのですね
 一光三尊式阿弥陀如来(善光寺如来) 

2015年3月16日 (月)

富山・石川・出雲の縄文巨木遺跡と北陸新幹線開通

石川・富山の縄文遺跡と北陸新幹線開通

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北陸新幹線金沢まで開通でテレビ局が湧いていた。富山・石川等の今まで余り日の当たらなかった日本海側が東京と繋がった。金沢のしっとりした日本的文化の伝統技術の工芸品等に多くの観光客が触れることになって、今の若者にも日本の美を味わってもらうのには私も大歓迎。
 
 日本海側には縄文時代の古くから北前船が各港を結んで活発な国内交易+中国等との交易で活躍していた。縄文後期に位置付けられている「青森三内丸山遺跡」に始まって金沢などの巨木遺跡「チカモリ遺跡・真脇遺跡」そして出雲
等北陸各県には、巨木文化の素晴らしい遺跡が並んでいる。何故こんなに沢山、巨木遺跡が並んでいるのだろうか?と考えた時、縄文時代の製鉄を主張する私にとっては絶好のチャンス。多く残された巨木の伐採は鉄がなければ不可能だという結論に達するだろうと推定できるから。現代は多くの巨木を「石斧」で伐採したと曖昧に解釈されているが、北陸に並んだ多くの巨木遺跡文化は、縄文時代製鉄説の私の有力な傍証でもある。「御柱祭火と鉄と神と・彩流社を参照ください」・・・。これ等製鉄文化は大陸から伝播したものだと多くの考古学者・常識は主張する。でも私は縄文時代製鉄の根拠を遺跡や出土品から「生活科学の目で考えて」既に見つけ出したと考えています。・・ですので皆さんと「縄文時代製鉄論・縄文時代の製鉄はありえたか・・石斧で巨木が伐採できたか?」をくり広げられることを楽しみにしています。
 
 では製鉄材料はどうしたのかと疑問に思っている人も多いでしょう。それは当然縄文古代から日本で強い力を持っていた出雲に有る銅鉱山(鉄鉱山でもある)によると推定しています。製鉄材料はわざわざ朝鮮から輸入するまでもなく、「出雲の豊富な銅山・鉄山の鉄(銅)」を北前船等で運んでいたと生活科学の目で考えれば思い当ります。
 
 そして太平洋側に都市・文化の中心が移った縄文後期後半になっても寒い北陸各県ではそれまでに培った文化を利用し黙々と伝え、今の金沢・富山等の情緒ある日本文化を温存して来たのだと思います。
 
 この機会にぜひ北陸の古代遺跡の多くを観光の合間にのぞいてみてください。きっと新しい、そして古い日本の発見が出来ますよ。そしてその後ぜひ「縄文時代の製鉄はあり得るか論争」を皆さんと繰広げられたらと願っています。

 

2013年2月 5日 (火)

多賀大社節分 餅まき

福井県多賀大社お餅まき 春分の日  23 ももちゃん

多賀大社の節分は豆よりお餅が多く撒かれ、其れも面白いことにお餅を撒くのは60歳になった還暦を迎えた爺ちゃん祖母ちゃんが赤いチャンチャンコと赤い帽子を被って参詣者に多量のお餅を撒くという。還暦のお祝いと同じ服装で餅撒きをするという。一度行ってみたいと思ったが、未だ実行できていない。節分の日の豆撒きも地域によっては、「鬼は内福は内」といって家の中に豆撒きをするとか、ちょっと変わった地域もあるらしい。鬼と呼ばれた地域の人たちは「鬼は内福も内」と豆を撒くのかもしれないなんて、想像してしまう。節分の豆撒きも地域によって文化によって、異なった伝承があったのだろうが、明治の廃藩置県のころの政策で、標準語のように日本全国統一的になってしまったのかもしれないけれど、隣の部落はこっちの部落を侵略したから、隣で作ってる米なんか食べるものかとか、こっちの豆で追い払ってやれ・・とかつては戦闘があった事を伝承しているようで、興味深いけれど、今は保育園行事になってしまって、各家庭では豆撒きなどしない家が多くなったようだ。サンタクロースのクリスマスは家で楽しむのにね。ちょっと寂しい気がします。日本の本当の素晴らしさを知らないから、素晴らしさを伝承してこなかったからでしょうね。色々の文化の伝承を祭りという形では残したけれど言葉で残してこなかった、そのために何故この祭りがこんな形でこの地域に伝承されているかといった真の意味がわからなくなって、どんな祭りも家内安全・無病息災を祈って行われていることになってしまった。たとえば危険な御柱祭も、サンクロウのような子供たちの祭りも、祭りの意味は全て家内安全・無病息災で面白くも無い。地域に生きた感情(人々の心)を伝えた祭りのそれぞれの感情をつまみ出してみたい気もする。

 春分の日に豆撒きってどんな意味があるのだろうか、考えるとちょっと興味が湧くが、節分の豆撒き行事は中国や韓国や、アメリカなどで行う所はあるのだろうか。色々の行事があって面白い日本。行事の意味まで突き止めたいものですね

2013年1月31日 (木)

地域起し

地域起し 130 ももちゃん
先日友の紹介で地域つくり市民活動集会参加を知って、歴史部会もあるというので参加してみた。活動事例報告で明治代の生糸産業館と私鉄駅舎の保存運動が紹介された。その続きで、この保存運動のみへの意見ばかりで時が過ぎた。やっと発言権が与えられて、地域作りに多くの民俗学的価値のある地域に根付いた「祭り」で地域興しは出来ないかと提案した。
本当は私の調べた研究発表の中に、地域で認めてくれれば歴史上非常に価値のある、地域起しにつなげていかねばならない、消し去ってはいけないと思える伝統行事や遺跡などがこの地域には多くあるのだが、現代にこれをつなげて町興しに繋げるのも一つの課題ではある。価値ある歴史と価値が無い歴史は、現段階でどう識別するのか。
集会が終わって友と階段を下りながら「駅舎の残したい部分のみ残して、地産地消の新鮮な野菜を並べたり、市外地域だから、市内から行くための交通割引したり鉄道マニアを喜ばせる展示品を置くなど、何かありそうねー」と活動している人たちには届かないおしゃべりで、終わった。
私も現在のところ、自分の研究している結果が、推定として論は実証できているのだけれど、支持者がいない。結局地域で浮いた「一つの説」に過ぎない現状に、「新説無視」という学会の方々の仕打ちに、打つ手が見つからず、今まで容認されてきた中高学校の運動部等の体育部の暴力指導と同じで、古代史の見方も今までの説の容認で新しい体制が取れずに、大きな損をしていると考えるのです。
今ゲラ刷り途中の「藤原氏のルーツを追って」で書いているように、松本の一部に餅米のルーツ地域があったと確定できれば、その地域はその事実を即地域起しに使えるだろに!!と、思う次第です。

2012年11月19日 (月)

邪馬台国・卑弥呼はアユチ族の女王様

邪馬台国・卑弥呼はアユチ族の女王様  1119  ももちゃん
昨日研究発表だったが珍しく信毎新聞がイベント欄に発表してくれたため長野市や上田市・千曲市の方の参加があって、流石地元大手紙の力と驚いた。だが彼らは私の縄文時代製鉄が信州から誕生していたと言う「御柱祭・火と鉄と神と」を読んでないので、今回の発表「邪馬台国の卑弥呼はアユチ族の女王様」の根本の邪馬台国の「邪・邪の国=銅の国」「正の国=鉄の国」が理解できない。研究発表より基礎的なことでかなり喧々囂々で、疲れて帰って、折角憧れの人=歌の会の声のいいおじさんが来てくれたのに、攻められる立場のいつもの自分でしかなかった。硬いなー・もっと柔らかな会をと思うが、女故に柔らかくできない点もある。私の心は男っぽいのに現実と感情や傍目には女の古代史は受け入れられないのだろうか。
でも今度は「謎の藤原氏のルーツを追って・・」の出土遺物からの新説の新刊本が出版間近だから、楽しみにしていてください。また「三角縁神獣鏡は卑弥呼の鏡か否か」の点で、私は否としているが、三角縁神獣鏡についてもっと調べる必要を感じたので、来年度の研究課題として早急に明らかにしていく必要を痛切に感じた。来年に三角縁神獣鏡の発表をしたいなと決心を新たにした。
 解散が決まって選挙風雲急を告げている。今度の選挙は国民全員がしっかりし「党・人」を見て投票しなければいけない。でも少数党に入れるとその票は無駄になることがあり、三極がまとまる理由は分かる気がする。

2012年4月 1日 (日)

安曇族と穂高見尊と仏が寝ている乗鞍岳と ももちゃんの古代史 

 前日安曇野の謂れを書いたら穂高見命のこと書いてみたくなった。穂高見尊とは安曇野を切り開いた神様となっている。そして文字から見ると穂高岳(連峰)が見える場所に住んだ尊と言うことになる、と私は考えた。穂高岳の威容は一度見たら忘れられない気魄が迫る美しさがある。この穂高岳が見える地域は茅野市と諏訪・そして塩尻市等の一部に特定され、塩尻市の南部(平出遺跡等)から見る素晴らしさは正に絵になる。
 そして塩尻南部平出遺跡等は縄文中期の出土品が多く、特に縄文土器とは共伴出のない緑釉陶器とか鉄の紡錘車50など、奈良時代に時代設定されている出土品が多い。ただ問題は緑釉土器の上薬は鉛で、鉛の溶解温度は350℃程度の低温で溶け出す。土器を焼くには逆に低温過ぎて、低温維持も難しい問題と考える。だから緑釉土器の時代は縄文土器を焼いた時代と考えられないかと筆者は推定している。須恵器や土師器を焼く時代になればもっと高温だから緑釉土器を焼くカマドか炉は別にする必要があったはずだ。須恵器や土師器を焼いていれば鉛の入った土から鉛は気化して、人々は鉛と言う物質を知らずに過ごしたと考える。と言う事は鉛が溶けるのを知った人々の文化は350℃程度の温度を扱っていたことになり、そういう時代は焚き火をチョロチョロやっと炊いていた時代ではなかろうかと考える。と言う事は縄文土器を焼いた初期文化の時代だろう。もう土師器を焼く温度では鉛と言う物質を人類は認識できない。
 だから緑釉土器文化は縄文時代の中頃等の時代だと推定する。ただ文化が進んでも深い緑色の土器は貴重品だから技術が伝承され、もう少し後の時代の京都などの文化のシンボル的に扱われただろう事は推定に難くない。

 この緑釉土器文化を持った人々が安曇野を切り開いた穂高見命部族と考え、安曇族と呼ばれた人々だったと推定した。そして彼らは後に他の部族に追われて今の安曇野・穂高・松本地域から追われて全国に散った人々だった。今海人族の中心的安曇族は海の向こうから来た人々でなく信州の安曇野地域から縄文時代後期に全国に散った人々だったと、出土品等から私は推定しています。
 そして松本東部からは穂高連峰は見えない。その代わり仏が寝ておわす様な乗鞍岳が、真っ白い姿で早春の寒い朝の抜けるような青空に浮かび上がるのです。(疑問の方は「封印された須恵器のルーツ・彩流社」をお読みください)
 今日はなんだかいつもと違うももちゃんの古代史でした。

 もう政治に何を言っても虚しい、でも我慢できなくなって又政治批判等繰り広げます。お楽しみに!!!。

2012年2月20日 (月)

インド仏と道祖神とももちゃんの古代史

 寒い・信州で昨日本州で最低温を記録したと言う。最近大阪の橋本市長が船内八策を発表した。興味深深だが書いている暇がない。後日是非八策にあれこれを書きたい。さてそんな昨日古代史研究会(松本)で「最新インド情報」と言うことで地域古代史研究者の山崎佐喜治氏のインド紀行の講話があった。インド仏教といえばエロチックな仏像の寺院で有名で、多分インド寺院などの観光に行けば目のやり場に困るだろうと推定していた。案の定寺院説明書物は皆さんご存知のように、必ずあのエロチックな写真が並ぶ。

 日本では仏教は妻帯・贅沢禁止の厳しい宗教なのにインド仏教では妻帯は当然で享楽を促進するような仏像ばかりだ。発表者も日本に入った仏教が何故こんなにストイックな仏教として伝わったのか不思議だと話していた。この点私も以前から不思議に感じていたが、実は信州特に松本・安曇野にはエロチックな道祖神が何体か伝わっている。私は以前から原始仏教も信州から生まれていると実感していた。はっきり書くのは初めてだが、文化的にどう観てもインドより信州の道祖神の方が古い文化といえる。道祖神に先立つ縄文時代中期に信州では男性のシンボルの様な「石棒」信仰が流行って多くの遺跡から出土している。石棒の変形の様に、後の時代に道祖神がもてはやされ、道路の辻などに石の男女相対道祖神や馬の道祖神(馬頭観音)が作られ飾られ旅人や地域を守る守り神として石仏信仰を継承している。

 この道祖神の中にインド仏像と肩を並べるような、エロチックな彫られた石仏が数地域に信仰とあいまって守られている。そしてインドは仏教の発祥地といわれ釈迦の生誕地と言うことだが、未調査だが日本のような仏像はインドには存在しないような。このエロチックな仏像・子孫繁栄信仰は日本縄文時代に始まっているのだから、この信仰者(文化)が何かの事情でインドに漂着してインドに解放的な性の謳歌的仏教が興ったのではないかと推定した。その性謳歌の信仰が日本の中では山に入って修行僧を生み、文化が進んで日本仏教に発展したのではないだろうか。かねがね考えていた原始仏教の始まりと結びついた気がした今日の収穫でした。

 とはいえ今日の古代史研究会で私が提案したことが途中で声のでかい会員に遮られて、自分の提案が中途半端に終わって不愉快極まりない気分で、奈落に落とされた気分で(私の古くからのトラウマ)家に帰っても何も出来ない。呆然とTV「運命の人」を見て・・。今回も相手の言葉を受け入れてしまったことも我ながら不愉快だ。でも今日月曜日はどうにか持ち直して今ブログを書きました。

 トラウマは状況に流されては駄目。でも何とはなく以前と同じ状態になってしまう不思議。トラウマ持った皆さん!状況を変えてトラウマ卒業しましょう。

2012年2月 1日 (水)

節分の餅まきとももちゃんの古代史

 節分の季節の到来。今年の節分は寒い。豪雪地帯は大変なことになっている。屋根の雪落しなどで今年も既に50人近くの人命が失われている。屋根にパイプ(50cm間隔等のm字パイプ)など並べて雪掻きすれば人が滑り落ちるの防止できるんじゃない?。早急に考案して欲しいですね。

 さて節分になりました。節分は何故か豆まきですが、豆以外に福井県多賀大社ではお餅まきをするそうです。節分に還暦の男・女が300人とか集まって赤いちゃんちゃんこを着て赤い帽子を被って、豆の倍くらいの量の餅まきをするそうです。赤いちゃんちゃんこといえば還暦の老人のお祝いに欠かせないアイテムです。どうも還暦の赤いチャンチャンコは福井県の多賀大社の節分行事にルーツが有りそうですね。

 ももちゃんの古代史ではこの餅のルーツにまで言及したくなるのですが、多賀大社は餅まきをして、同じ名前の古社の御多賀さまが信州松本出川地域にあって、ここでは「お伊勢はお多賀の子でござる」と伝承され「寿命餅」が祭の名物で、伊勢神宮の名物は一口大のお餅「赤福」でお多賀さまの寿命もちと類似しています。以上からお多賀さま・多賀大社・お伊勢様の関わりは餅つながりです。このほか三社は繋がりがあるのですが、その点は3月頃出版する「藤原氏のルーツも信州・出雲の国譲りの真実・・」こんなタイトルにしようと考えている(タイトルは未定)冊子(彩流社出版)で書いていますのでお楽しみに。

 ともあれ餅米のルーツは信州松本市で、さらに日本米ジャポニカのルーツは伊那谷と書いています。理由は出土遺物や状況で判定しています。読んでみてください。

 ジャポニカ米にはうるち米と餅米がある。そしてジャポニカ米は中国原産ではないと書いています。今米は中国原産と言うことに学界で決まっているようなものですが、ではどうして中国が原産なのか理由は納得できるようなものがなく「米は中国が原産」という説には疑問が幾つもある。でも私の3月予定の本ではジャポニカ米は日本原産説を打ち上げていますが、もっと納得できると思います。

 地震大国日本には不安な状況が今幾つか重なって現れています。この先不安とはいえ、私には誠実に前を向いて生きるしか出来ません。ナーナー主義だけでは日本は良くならない。少しでも住み易い日本の秩序を作り直すためにもっと政治を個々人が考えて行動したいですね。自分たちの未来は自分達の今の行動に掛かっていると思いますね。では又 日々これ好日に!。

2011年11月13日 (日)

縄文時代後期の山城とももちゃんの古代史

 昨日も今日も暖かく快晴で気持ちよい小春日和。昨日は銅鏡・銅印(奈良私印)・鉄斧等が出土した三間沢川左岸遺跡発掘現地見学会に参加。午後は「松本に多い山城発表会」学芸員さんの発表だった。山城は中世に武田信玄が松本に侵略して来て小笠原氏が戦った時の城的な認識が地域にあったので、疑問を持ってももちゃんは参加した。そしてももちゃんは質問した後、若い学芸員さんが山城について調べ足を運んで写真を並べた努力を、ちょっと褒めてから質問すべきだったと反省した。

 案の定「山城」の時代設定が武田信玄との激戦時等の城と説明していたので、時代について質問した。武田信玄は馬を疾駆して信州の多くを領地にした武将。その時代に松本地域では山中に山城を築いて山に篭って敵と戦ったのだろうか。山城にはV字の薬研掘りの堀が多く掘られていると言うが、堀なんか掘っている間に馬で蹴散らされてしまう。山城には下級武士でも篭ったと言うのか。可笑しいではないかと質問した。

 山城の多い松本の争いなら、武田信玄の以前に弘法山古墳を築造した人達だって、もっと以前の金環と馬具をシンボルにした文化と、穂高見尊(麻織物と稲)文化の激戦地だった時代がある。ただこの説は私だけの説で認知されていない。

 山城の多くは縄文後期から弥生時代の周講を何重にも巡らした弥生遺跡と同時代か前後する時代と私は考えている。だって古墳に多くの馬具が副葬された時代は、馬が戦闘で有利だったことは確かだ。そんな時代はもう山に篭って戦争しないだろう。山に篭った人達は負けたから山に篭ったんで有って、戦闘に馬が一般的になった時代は、わざわざ多くの労力を使って山城は作らないだろうと考える。馬が調達できない下級武士同士や地方豪族同士の戦闘には山城も有効だろうとは思うけれど。

 これは理屈で推定で体験ではない。だけど日本の多くの山城は奈良時代以前の文化だっただろうと思います。

 製鉄文化のルーツを書いた「御柱祭り・火と鉄と神と」読んでください。古墳から多く出土している「金環」のルーツも書いています。

 須恵器のルーツ・漢字文化等のルーツを書いた「封印された須恵器のルーツ」も読んで下さい。古代史を生活科学の目で見て書いています。

 そして人類の文化史の真実をもっと考えてみたいですね。

 まぐまぐ「日本古代史の謎とルーツを探るももちゃんノート」も読んで下さい。日本のもっと素晴らしい文化が見えてきますよ。  よろしくどうぞ。